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大阪高等裁判所 昭和34年(う)780号 判決

被告人 西川俊雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納できないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検事井嶋磐根提出の控訴趣意書に記載のとおりであり、答弁の趣意は弁護人石井寛三提出の答弁書に記載のとおりであるから、いずれもそれを引用する。検事の所論第一、二点は、要するに、憲法三八条一項は刑事手続に関する規定であつて、行政手続には関係がなく、従つて行政取締法規である道路交通取締法(以下、道交法と略称する。)施行令六七条二項の規定は本来右憲法の規定とは無関係であるばかりでなく、右施行令六七条二項に定められる事故内容の報告のうちには故意、過失など刑事上の責任を問われる虞れある事項の報告は含まれていないものと解するから、右条項のうち事故内容の報告義務を定めた部分はなんら憲法三八条一項に違反するものでないのに、原判決が右の違反があるものと解し、本件公訴事実のうち右報告義務違反の点は罪とならないと断じたのは法令の解釈適用を誤つたものである。

本件道路交通取締法違反の公訴事実は、「被告人は、昭和三三年七月二七日午前一時一五分頃、尼崎市水堂高瀬二二番地先道路上で、自動車を操縦中、衝突により戸沢康雄に傷害を負わせたのに、直ちに被害者を救護し、又は事故の内容を事故の発生地を管轄する警察署の警察官に報告する等必要な措置を講じないで運転を継続して現場より立ち去つた。」というのであつて、原判決は右事実のうち救護義務違反の点を有罪として処断したが、報告義務違反の点については、右報告義務を認めた道交法施行令六七条二項の規定は憲法三八条一項に違反して無効であるという理由で、罪とならないと判定していることは所論のとおりである。よつて原判決の右判定の当否について考えてみるに、憲法三八条一項の法意は、何人も自己が刑事上の責任を問われる虞れのある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきである(最高裁昭和三二年二月二〇日大法廷判決参照)が、原判決も説示しているように、刑事責任に関する不利益な供述の強要禁止は本来の刑事手続に限るという憲法上明文の根拠がないのみならず、行政手続であつても刑事手続に移行する可能性は常に存在し、殊に報告の相手方が警察官と定められている本件のような場合には、その可能性が大であることに鑑みると、右憲法の規定は刑事手続のみならず行政手続においてもその適用があるものと解するのが相当であり、従つて原判決が憲法三八条一項の黙秘権の保障は行政取締法規である道交法にも及ぶとしたのは相当であつて、これと見解を異にする所論には賛同しがたい。しかるに、原判決は道交法施行令六七条二項にいう「事故の内容」の報告義務は、自己が刑事上の責任を問われる虞れのある事項の報告義務を定めたものと解しているのであつて、なるほど「事故の内容」という文言は、あいまいな表現形式であつて、それ自体そぼく的に解するときは、原判決のいうように、操縦者の氏名、住所や単なる事故の届出に止まらず、更に進んで、当該操縦者に対し、事故の内容となるべき人の殺傷の事実は勿論、自己の過失を推定されるような具体的事情等をも報告すべき義務を負わされているという解釈が許されるようにも見えるのであるが、右は「事故の内容」という文言についての単なる文理解釈に過ぎないとのそしりを免れないものというべきであつて、右道交法施行令六七条二項の規定及び右規定に関連のある同条一項並びに道交法二四条一項の規定をしさいに検討すると、道交法二四条一項は、「車馬又は軌道車の交通に因り、人の殺傷又は損壊があつた場合においては、車馬又は軌道車の操縦者又は乗務員その他の従業者は、命令の定めるところにより、被害者の救護その他必要な措置を講じなければならない。」と規定しているのであつて、交通事故発生の場合における応急的処置に関するものであることは、右規定自体に徴し疑いないところであるから、その委任命令である道交法施行令六七条の規定もまた右のような応急的処置に関するものであることは当然であり、しかして、同条一項は、先ず前段において、「車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があつた場合においては、当該車馬又は軌道車の操縦者は、直ちに被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならない。」と規定し、事故の場合車馬等の操縦者等に即時右のような応急的処置をする義務を定めるとともに、その末段に「この場合において、警察官が現場にいるときは、その指示を受けなければならない。」と規定し、次に同条二項は、「前項の車馬又は軌道車の操縦者(操縦者に事故があつた場合においては、乗務員その他の従業者)は、同項の措置を終えた場合において警察官が現場にいないときは、直ちに事故の内容及び同項の規定により講じた措置を当該事故の発生地を管轄する警察署の警察官に報告し、且つ、車馬若しくは軌道車の操縦を継続し、又は現場を去ることについて、警察官の指示を受けなければならない。」と規定し、警察官が事故現場にいないときは、前項の応急的処置を終つた後、操縦者等に対し、いわゆる「事故の内容」及び応急的処置を警察官に報告する義務等を定め、右報告義務者は一次的には操縦者であるが、操縦者に事故があつたときは、乗務員その他の従業者をも報告義務者と定めており、なお警察官が事故現場にいるときは、警察官に対する「事故の内容」の報告義務を定めていないことが明らかである。しかして、以上のような規定の内容に徴すると、これら一連の規定は、道路における交通事故が発生した場合、操縦者等に対し、取りあえず被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講ずるなど事故発生による応急的処置をする義務を負わせているのであるが、操縦者等は右のような応急的処置については、元来素人であるから、この道の専門家である警察官をして、これら応急的処置をより適切に講じる機会を与える目的で、警察官が現場にいるときはその指示に従わせ、現場にいないときは所轄警察署の警察官に報告する義務を負わせたものであると解すべく、従つて、いわゆる「事故の内容」の報告義務についても、右のような目的を達成するに必要な範囲、例えば事故発生の日時、場所、事故のあらまし、被害者の氏名等いわゆる事故の同一性を現わす程度の事項を報告するをもつて足り、原判決のいうように、操縦者等の過失を推測させるような具体的事情など凡そ応急的処置に縁の遠い事項についてまで報告義務を定めたものではないと解するのが相当である。なお、原判決は、道交法施行令六七条二項の末段に、警察官の指示がなければ、当該操縦者は操縦を継続したり、現場を去つてはならないと定めていることに関連して、過失を推測されるような具体的事情を現場について詳細に述べるべく要請されていると考えざるを得ないとしているのであるが、これも誤解であつて、右規定は専ら操縦者等をして前記応急的処置を全うさせるために設けられた規定であつて、原判決のいうように「事故の内容」の報告義務と関連する規定ではないと解すべきである。

そうだとすると、道交法施行令六七条二項は、「事故の内容」というあいまいな文言を用いたことについて、立法技術上反省を要する点はあるとしても、同項のうち事故に関する報告義務を定めた部分は、いわゆる黙秘権の保障を定めた憲法三八条一項に違反するものとは考えられないから、これと反対の見解に立つて、本件公訴事実のうち被告人の右報告義務違反の点は罪とならないと判定した原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用上の誤りをおかしているものといわざるを得ない。従つて論旨は理由がある。

次に、検事の所論第三点は、原判決が被告人を罰金一万五千円に処したのは、刑の量定が著しく軽きに失し不当であるというのである。

よつて調査するに、本件過失の内容、被害者の受傷の部位、程度、本件がいわゆるひき逃げである点その他記録並びに当裁判所が取り調べた証拠に現われた諸般の事情を総合すると、原判決の刑は、犯情に比し軽きに失し不当であると思われるので、この点の論旨も理由がある。

以上の理由であるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八一条に従い原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用して次のとおり自判する。

原判決の認定した事実(原判決は被告人の業務上過失傷害の事実及び被害者の救護措置を講じなかつた事実を認定しているほか、本件公訴事実のとおり、被告人において本件事故を惹起しながら、右事故の発生を所轄警察署の警察官に報告しなかつた事実についても証拠によつてこれを認定した趣旨と解する。)に法令を適用すると、被告人の行為のうち、業務上過失傷害の点は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条に、被害者の救護及び事故の報告義務違反の点は道交法二四条一項、二八条一号、同法施行令六七条一項、二項にあたるから、それぞれ罰金刑を選択し、なお刑法四五条前段、四八条二項、一八条、刑訴法一八一条一項本文を適用して処断することとする。

よつて、主文のとおり判決をする。

(裁判官 小田春雄 山崎寅之助 竹中義郎)

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